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≪Vol.055 Vol.057≫
【敬老の日お祝い特集】おじいちゃん・おばあちゃんの思い出を教えてください!Vol.056
昔、おじいちゃん・おばあちゃんが遊んでくれたり、何かを作ってくれたり。
いまでも心に残るエピソードはありませんか?
どんなことでもいいですよ。
おじいちゃん・おばあちゃんにまつわる思い出話を聞かせてくださいね。
募集期間:2008/9/9(火)〜9/15(月)
祖父母の思い出 匿名希望さんからの投稿
私の祖父は、2歳の時に亡くなってしまいました。
母から聞いた話ですが、祖父は仕事から帰ってくると、私を着物の懐に入れ、自転車で近くのパチンコ屋さんのネオンを見せに行くのが日課だったそうです。

「小さい子どもにネオン?」と思われると思いますが、私はとても喜んでいたそうです。残念なことに、その記憶がありません。なにせ2歳までの話ですから・・・・

祖母は私にはとても甘い人でした。
どこのおばあちゃんも孫に甘いと思いますが、祖母の思い出といえば、バナナかなぁ。

祖母の子どものころは、バナナがとても貴重な果物で、「重い病にならない限り食べられなかった」とよく言っていました。

私の住んでいた家の近所で、5・10日に夜店が出ていまして、そこにバナナ売りが来るんです。とても軽快で聞きほれるぐらいの話し方で、バナナを売るんですが、祖母はいつも1房を買っていましたね。

それと、はったい粉、砂糖を入れてお湯で好きな硬さに混ぜて食べていました。祖母の子どものころの主食だったそうです。

いまでは、はったい粉の存在すらどこへやらの時代ですが、祖母の子どものころには、とても貴重な食べ物だったのでしょう。

祖母との思い出は、もっとたくさんあるのですが、このごろ良く頭をよぎるのが、このことなんです。
おじいちゃんからも、おばあちゃんからも、たっぷり愛情を注がれていたんですね。
バナナや夜店のにぎやかな雰囲気にふれるたびに、おばあちゃんのことを思い出されるのではないでしょうか。

投稿ありがとうございました。
おばあちゃん カワラナデシコさんからの投稿
94歳になる私のおばあちゃん、もちろん元気はつらつです。いまは、ひ孫3人、4世代同居の大ばあちゃんです。

昔は、いろいろ作ってくれました。リカちゃん人形のお洋服をチャチャッと、布を使ってミシンで縫ってくれました。お人形のお洋服を買ってもらえるなんてことなくて、嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。

いまは、お手玉くらいなら、リクエストすれば、ミシンを使って作ってくれます。
手作りが大好きなおばあちゃん、いいですね(^^)
お手製のリカちゃん人形のお洋服なんて、とてもステキです。他にはないお洋服ですものね。

投稿ありがとうございました。
思い出 匿名希望さんからの投稿
夏になると、いつも思い出します、祖母が自宅の庭で毎年作ってくれた、とうもろこしを。

母方の祖母は、16人の孫が、誰がいつ来てもいいように、そんなに広くない庭で、とうもろこしを毎年作って、訪れた孫にそのとうもろこしを茹でて、必ず振舞ってくれたことを、昨日のように思い出します。

その祖母も、いまでは他界しておりますが、毎年ふとそのことを思い出し、自分の子どもには、同じことを体験させることはできませんが、何か毎年思い出を残してあげられれば・・・? と思っております。
おばあちゃんが育てたとうもろこしは、とてもおいしかったのでしょう。やさしいおばあちゃんでしたね。
私も子ども達に、毎年思い出を残してあげたいなと思います。こういうのって、いいですね(^^)

投稿ありがとうございました。
祖父の思い出 あやちゃんさんからの投稿
父方のおじいちゃんは、初孫だった私を、ほんとうに盲目的に可愛がってくれました。

小学校に上がっても連日のおねしょが治らなくて、家族の心配のタネだったのですが、祖父は毎週日曜日になると、私だけを連れて、温泉に行きました。電車で1時間ばかりの山之内温泉で日帰り湯治でした。

ゆっくり宿をとって、1日温泉につかったり祖父はお酒を飲んだり、私はおやつを食べてお茶を飲んでとふたりだけののどかな時間でした。からだを温めておねしょがとまれば・・・という祖父の願いだったのです。

祖父の優しい笑顔と質素な旅館の部屋が思い出されます。
おじいちゃんの愛情たっぷりの、とてもいい思い出ですね。思い出すのがおじいちゃんのやさしい笑顔というのが、とてもステキです。

投稿ありがとうございました。
こころに残る言葉 フラミンゴ1327さんからの投稿
母方の祖母はとても厳しい人でした。まあ厳しい人だったから、戦後、女手一つで3人の子どもを育て上げることができたのでしょう。

いろいろ教えてもらいましたが、いちばん心に残っているのは「人間どんなに貧乏しても、食べ物を他人にケチってはいけない」ということです。

いま、自分もそれなりに年を重ねてしみじみわかるのですが、どんな状況でも最低限の優しさをもてということなのかなと思います。

食べ物のない戦中、戦後を生きた人の実体験から出た、重い言葉だと思います。
おばあちゃんは、人として、大事な言葉を残してくださいましたね。ぜったいに忘れてはいけないこととして、私も心に留めておこうと思います。

投稿ありがとうございました。
祖父母の思い出 3姉妹のmamさんからの投稿
子どものころ、春休み・夏休み・お正月に帰っていたばあちゃんの家では、「あんたが好きやけん」って言ってスイカや果物などいろいろと用意してくれていました。
今年のお盆に、母が米粉で作った、みょうがの葉に巻いて蒸したお団子を食べたとき、その香りで思い出しました。
お団子は、以前おばあちゃんが作ってくれていたのでしょうか。
その香りが、おばあちゃんの思い出につながっているんですね。

投稿ありがとうございました。
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