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子供の頃にしていた「お手伝い」を教えて♪
Vol.196

昔に比べて減った気がする子供の「お手伝い」。
みなさんが子供の時にしていたお手伝いで、頑張ったことや楽しかったこと、大変だったことなどをお聞かせください。
特に今はあまり見かけないお手伝い話を歓迎!

募集期間:2015/10/27(火)〜2015/11/8(日)
子供の頃の「お手伝い」 youさんからの投稿
61歳の男性です
「お風呂が薪をくべて沸かす」事は懐かしくもあります。

少し離れますが、そんな事を物心がつくころよりしていたので
小学校時代の1〜6年生の冬期、クラスのストーブ当番を続けました。
朝一番でダルマストーブに石炭を入れ火をつけて教室を温め、
放課後後片付けをして暗い夜道を歩いて帰宅していました。

子供に火を扱わせるのは今じゃ考えられないでしょうね。
6年間ずっとストーブ当番をされたのですか、
それは表彰ものです!
みんなが教室で温かく過ごせたのはyouさんのお陰ですよね。

当時はみんな家でいろいろな手伝いをするのが当たり前だったから、学校でも安心して子供に任せられたのでしょうか。
今だったら、簡単な掃除でも、イチから教え込まないとできない子がいそうですね…。
昔のお手伝い ntさんからの投稿
そうですね、

1)畑仕事、草刈り、養蚕の桑の葉摘み、たばこの葉延し、白菜の箱作り、
稲刈り、他 色々としましたです、

2)子供の子守、ご飯焚き、などです

生まれが、農家でしたので、今思うと考えられませんが、
当時は普通でみんな同年の人は家庭の手伝いをしていました。
いろいろな農産品を扱っていらしたのですね!
お手伝いの内容も幅広く、大人でも難しそうなものもあります。
当時の子供たちって、本当に働き者。頭の下がる思いです。
子供のころのお手伝い まめこさんからの投稿
庭にクルミの木があったので、秋に実が落ちると拾いました。

冬に、炒ったクルミを二つ割りにして、中身を目打ちみたいなもので
かきだすのもやりました。それなりに楽しかったです。
兄は、クルミを拾えと親に言われたときに、一つ何円で、と交渉してましたね。

うちの子も、きっとそうかな…。
栄養価たっぷりのクルミの木があるお宅なんて、素敵ですね♪
どんなお料理に使っていたのでしょうか?
お兄さんはちゃっかりしていましたね^^ 
兄弟がいるとゲーム感覚で楽しめそうなお手伝いです!
子供の頃のお手伝い ピーすけさんからの投稿
私の子供時代は1日がお手伝いに始まりお手伝いで終る
って感じの日々だったと思います。
大げさに聞こえるかも知れませんが・・・(^^ゞ

まず、朝起きたら学校へ登校する前に絶対やらなくてはならないのが
雑巾がけと掃除で、姉妹が毎日交代で雑巾がけと掃除をやっていました。

掃除は朝から窓を全開にしてハタキで埃を落としてから掃除機をかけて行くのですが、
部屋の隅から細いブラシでかけてから全体をかけるように言われてたので、
子供的にはかなり大変でした。
雑巾がけは床と家の中の家具類全部の一番上側、埃の溜まる場所全部です、
床用と台拭き用と雑巾まで分けてやらなきゃならなかったのでこちらも大変です。

しかも、それが終わらないと学校へ行くなッ!と言われておりました。
朝寝坊したら遅刻しても良いから終わらせてから行くようにって・・・
かなり厳しいお手伝いです。

学校から帰宅したら先に帰ってきた方が洗濯物を取り込み畳んでしまう、
後から帰宅した方は夜の食器洗いを担当する。
と言う感じで朝から寝るまでに必ずやっていたお手伝いです。

でも、その時にやっていたからこそ大人になってから
あの時はやらされていたけどそれで良かったと思えるようになりました。
大人になってから急に出来るようにはならないと言う事も分かりましたので、
私も母ほどではないですが子供たちにお手伝いはさせています。
すごいです!!
なんだかお寺で修行中の小僧さんが、朝の掃除をしている姿が頭に浮かびました。
「やれ」と言われて、簡単にできることではないですよね。
とっても偉い姉妹の働きで、毎日ピカピカの家だったことでしょう。

…ピーすけさんに今の私の家を見られたら、怒られそうです^^;
大変だったことなど ichibanboshiさんからの投稿
50年くらい前、家業の精米所(米屋)の手伝いで、
亡き父より整理・整頓・清潔清掃を徹底的に教えられた。
というよりも叩きこまれた。

食べ物を扱う商人とはいえ
食の安全を第一に考えることだと思いました。

稲をもみ殻から玄米にする脱穀作業はたいへんだなと。
補助している母も大変だったと思います。

精米作業ができるようになると機械化された脱穀機とはいえ、埃まみれでした。
作業しないときは庭掃除と風呂焚き(薪で)は面白かった。

そうした手伝いが今の自分に身についています。
亡き父および亡き母に感謝!
日本人の心の食べ物「お米」はこんな苦労を経てみんなの口に入っているのですね。

みなさんのお手伝いの内容もすごいですが、何より、家族への「感謝」の気持ちが文面から伝わってくることに感心してしまいます。
ちょっと「手伝って」「片づけて」と言うだけで不平不満を言う我が子たち、どうなっているのでしょう(涙)
石炭運び ゆりかごさんからの投稿
小学生の時に住んでいたの社宅の暖房とお風呂は石炭が燃料で、
住宅の横にあった石炭庫からバケツに石炭を入れて運ぶのが私のお手伝いでした。

朝学校に行く前と、夕方お風呂を焚く前に運びました。
重くて汚くて本当に嫌でした。

悪さをすると母に石炭庫に閉じ込められたこともあり、今でも時々夢を見ます(笑)
懐かしいですね。

石炭ですか!今、NHKの朝ドラで話題になっていて、私も主人公と一緒に「ほう、これが石炭か〜」と思っていたところです。この目では直接、実物を見たことがないような…。

しかし、いかにも重そうです。嫌な仕事を毎日、頑張ってらしたのですね。

それにしても、石炭庫に閉じ込められるような、どんな悪さをしたのでしょうか^^
洗濯ものをしまう係り さくらんぼさんからの投稿
小学生(4〜6年生)の頃はフルタイムで働く母に代わって毎日下校後、
洗濯物を取り込み、たたみ、しまってから習い事や遊びに行っていました。

学校帰りに直接そろばんに行きたかったけれど、
洗濯物をしまわないと怒られる・・・。
なので必ず一度家に帰り、洗濯物をしまってからそろばんに行っていました。

今うちの娘はあの頃の私のようになかなか動いてくれません(;’∀’)
友達とワイワイ下校したい年頃なのに、ワガママ言わずにちゃんと洗濯物を片づけてくれて、お母さん、本当に助かったことでしょう。きっと今も感謝していることでしょうね。
家族は助け合いですね!
雪の朝の雪払い(雪かき) かまちゃんさんからの投稿
雪国に育った私は小学生の頃から雪が降った日は朝6時には起床。
弟と一緒に玄関から道路まで雪払いをしました。

誰も足跡をつけていない降りつもった雪を
小学生の二人が力を合わせて遠い道のりを雪払いしました。
体全体がほかほか汗が流れ出ていました。

今では降る雪の量もだいぶ少なくなり、小学生が雪払いをやっている姿が
見られなくなったと聞いています。
朝から重労働。偉い小学生ですね(>_<)
今、少し雪の降る地方に住んでいる私は、車に雪が積もっているだけで朝の仕事が増えて面倒だな〜と思っているくらいなのに。
寒い寒いと言いながら登校する子供より、健康的で、頼もしいですね!
子供の頃していたお手伝い チビさんからの投稿
今から50年くらい前のこと、当時はまだ五右衛門風呂でした。
小学生の後半位からずーっと風呂焚きは自分の仕事としてやっていました。

家の裏の川で魚を釣って、七輪で焼き飼い犬にやったり・・・
楽しかった思い出です。

今ではスイッチ一つでお湯が出ますが、掃除して溜めるまで私のしごとです。
もちろん、そのまま一番風呂ですが(^ω^)
お手伝い タツミノオトシゴさんからの投稿
子供の頃にやったお手伝いは、買い物の他に 
撒き割り・釣瓶の水汲み・風呂焚き・薪拾いくらいかな〜

水汲みは怖かった、竹ざお式の釣瓶で井戸から水を汲むんだけれど、
水の重みでそのまま井戸に引きずり込まれる気がした、
いやだったという記憶は無いが怖いのは怖かったね。
お手伝い 葉桜さんからの投稿
風呂焚き、掃除とくに雑巾がけ、包丁を使わない料理の手伝い、お使い
昔のお手伝い tomisenさんからの投稿
我が家も、昔は薪のお風呂でした。

お風呂の水は、井戸水だったので汲み上げて浴槽まで運ぶのが大変!
一人が水を汲み、姉妹でお風呂に溜まる迄バケツで運びました。

今はシステムバスなのでリモコンを押すと10分位で沸き
本当に便利になりましたが、昔の煙かったお風呂を
記事を読んで思い出しました。!(^^)!
お風呂焚きは子供のお手伝いの代表だったのでしょうか。お母さんが家の中のことをしている間、子供たちに外で手伝ってもらう丁度いいお仕事だったのかもしれませんね。

薪を使うだけでなくて、水も井戸から汲んできたというお話。ちょっと経験してみたい気はしますが、毎日のこととなると大変です。せっせと働く素直で可愛い子供たち、心からねぎらってあげたい気持ちになりました!
(私ももうちょっと、家事を頑張ろう…。)
大掃除 Mさんからの投稿
今ではほとんど見かけない年の暮れの大掃除
私の子供の頃は、大掃除に畳上げをしていました。
畳を天日に干し、下にひいてある油紙・新聞紙を取り除き、
ほうきで埃・新聞紙の上にまいた薬を取り除くのです。

私のお仕事は小さかったので、ちり取りを持つ事と、
そのゴミを捨てに行く事、後は新聞引きでした。

今では、畳の下に新聞紙はおろか、油紙も薬もまくことなどないですね、
暮れに、畳を上げて大掃除もほとんど見かけなくなりました。

餅つきも見かけなくなりましたね。
玄関先で、もち米を蒸し、うすと杵で餅をついていたのですが、
今ではスーパーに行けば売ってますし、懐かしい昔の暮れの風景です。
なんとなく記憶の片隅に、祖父母が畳上げをしていた姿が残っています!
きっとお書きいただいたようなことをしていたのだと思います。私は手伝ってないですね…。

しかし餅つきは祖父母が亡くなった今でも、母親が近所の友人と毎年イベント感覚でやっていますよ!
祖父母と作っていたお餅の出来栄えの方が、断然、美しかったですけどね^^
子供時代にしていた家の手伝い sp.さんからの投稿
終戦後の間もないころ、農家に育った私は、家の手伝いというよりも、
小学校に上がるともう半人前の労働力として扱われていた。
どこの家庭でも農家の家庭はそうだったと思う。

夏の朝は5時に起きて農耕用に飼育している牛の餌として
堤防の草を求めて朝露のびっりと付いた草を鎌で刈る、
籠に一杯になるのに1時間ぐらいかかる。

30キロぐらいだったろうと思うが、それを背負って帰ると
背中からパンツまで朝露でびっしょりと濡れる。
牛やヤギに与えた後に、濡れた衣服を川で洗う。
自分で汚したものだから自分で洗って干して行く、当然と思っていた。

そのために当時は、道や堤防の草があまり伸びる事は無かった、
先を争って刈り取っていたからだ。
時々草の中から山かかしが鎌首を持ち上げて怒って向かってくる。
子供心に恐ろしかった思い出がある。
このお手伝い、というより労働ですね、この経験談は想像もしていませんでした!
30キロというのは重さでしょうか、朝露を含んで重いのですね…。
服を洗うところまで自分でやってから、文句も言わず学校へ。何だか頑張りすぎていて涙が出そうですが、「どこの家庭でもそう」だったのですものね。
自立していて生活力があって、立派すぎる子供時代です。パソコン前から、拍手!

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